昭和40年12月26日 朝の御理解
(途中末尾切れ)
年末ともなりますと普通の月では、普通の時では、ひとつの忙しさというものが何処の家庭でもどんな人でもある訳ですね。特に年末の日頃は疎遠になる、御無礼になりがちなところへ挨拶に参りましたり、お歳暮のひとつも持って回ったり致します。まあ大変それは結構なことだと思うんですけれども、どうでもよいと言った所が大体はあるですね。特に年賀状なんか、私は年賀状というものを出さない。出さない事にしてるんです。もう昔から、もうむかぁしのお付き合いで年賀状だけは出す。
向こうもこちらが出すもんじゃから向こうも出しなさらにゃんと言う様なその面倒なことになるんですね。只まぁ私でいうなら、まぁ先輩なら先輩と言う様な方達でもう毎年先方も来るのは向こうからきてから出すのでは悪いから、まぁそうですね、久保山先生に願いしてから五、六枚ぐらいは出しますでしょうか。そんなことです。それで特にこの、お歳暮に至っては、年末の挨拶回りと、言った様な事にとっては、どうでもよいという所があるんだけれども、それががたあればいいですねえ。
昨日、久留米の松本さんの娘さん達が、二人熱心に参って参ります。妹さんの方が、櫛原中学の先生をしておられます。二人とも熱心に参ってきます。昨日も、何でも御神意を伺ってからという訳ですね。昨日私の高校時代の、明善高の先生のところに、年末のご挨拶に出たいと思うんでごすけども。まぁ先生どうさして頂くならよいだろうかとお伺いがございました。そしたら今のどうでもよいと頂いた。行ってもよから行かんでもよい。そんなら行った方がいですね、たいした事ない訳なんです。
けれどもです、けれどもやはりそのう高校時代先生というお世話になっとる方ですから、けれどもね松本さん、自分の心が行こうか行くまいかというごたるとこなら行かんでもよかけれどもです。どうでもあすこだけはご挨拶にでらにゃんというとこには行かにゃいかん。けれどもそのまぁ、その十年前になりますでしょうか、十年になるでしょうね、いわゆる高校時代の先生ところにご挨拶に出るということ。
その先生の事に対しましてです、先生の心とあなたの心とでもいうか、いうならこちらの心がです、こちらの心がです、神様のお願いさして頂いとくから何とはなしに心に調子が出て来る。ひとつのそのリズムというものがです、先方に対するところの心の通い始める、懐かしく又は温かくそういう心が心の中に強う出てきた時にはやらして頂きなさい。それは必ず先方も又喜んで下さるだろう。それでわかりましたちいうて帰られる。心が通わなければ行ってはならん。
例えばこちら真心込めた積もりでお歳暮の一つも持って行っても、こげなもんどん持ってきてと言わるんならかえって悪かですもんね。私共何をするにもです、どういう様な場合でもやはり無駄を省いていかなきゃならんのですけども、私はもうそのそういう年末と年始の一つのそれを虚礼という人がありますけども、やはり礼儀を尽くさなければならないという場合もございます。そこんところをです。
私共は信じ、これはもうそのことだけではないのですけども、一事が万事に私共の心に通うもの、これは私一人の行動致しますでもです。何とはなしに自分の心がそうさして頂かなければおられないと言う様な心の中にひとつのリズミカルなものがね、心に感じられる時にそこんところを行じていき、そこを通らして頂けば万事万端の上に御都合お繰合わせを頂けるです。いわゆるタイミングようお繰合わせ頂くのです。
行ったらほんな今出かけられたと言った様なことではない、出かけようと思いよったら。「いや、あなたが見えるけんばいの出られなかった、まぁさぁどうぞお上がりなさい。」と言った様なその、お繰合わせになってこないのです、でなかったら。信心はここのところに段々心を使えられる様になりますと、日々が有難いだけでなくて絶えず自分の心の中に神様を頂き続けることがでける。
昨日或方が熱心に参って見えるんです毎日。その非常にお家を大事にする方なんですね。もう拭き清める、お道具ひとつでも毎日毎日拭かなければならない。もう四季折々には軸も替える。置物も替えると言う様なそのこれはもう私の先祖伝来の家風だとこういう。そこへ、この息子さんのお嫁さんが見えられたんです。ところがそちらはそれとは反対の家庭に育てられた娘さんらしいですね。
そういう様な事がこうピタッとこない訳なんです。先日から広いお家ですもんですからお掃除だけでも大変だと、まるっきりお手伝いさんに行った様な気持らしいんですね。ですからまぁ疲れたからというてすぐ里に帰られた。帰られる前に御主人になる方がです、私の方の家はこういう様な、そのいわゆる家風なんだと。ですから私のいうこの家風にね、いうのがそれに溶け込んで来てくれる。
けれどもそんな面倒くさいことは、私はいやと言うならお前の気持ちのね、はぁそうだと気付くまでお家に帰っといてくれ、と言う様なことでまぁ帰されたらしいんですね、嫁さん。それでお母様が心配してから、そげなことがあるもんか、明日日曜でもあるから迎えに行って来なさいち、もう向こうは違わんごと今日は来てくれるだろう、今日は土曜だから夕方から向こうから電話が掛かってきたんです。
ところが丁度留守だったから、その年末で忙しいと言う様な事だったらしいんですけれども、その今日は土曜で来てくれるだろう、明日は日曜だからいよいよ来るだろう。あんたのごたると言うても、と言いながらもお母さん自身もやはりそういう様な気持ちもあるという訳なんですね。ここへ来たらこちらの家風になってくれなきゃならない。これはもう、例えば家の中を清潔にするといった様なことはもうここの家風なんだから中途半端なことされたんじゃもう家の中が乱れるというわけです。
ですから成程主人が言うことがお母さん達の言うておられる思うておられることの方が本当だと。自分はそこの家庭に入って行ったんだからその家風に自分が合わせて行けれる努力をさせて貰わなければ、円満にはいかんのだという風に気付いたら、もう何時でも電話を掛ける。したらすぐ迎えに行くと言った様なそのことだったらしいんですね。その事をながながとお取次ひとつのこれは何処の家庭にでもありがちなひとつの難儀さなのです。いわゆる問題なんです。そこで私は私自身の事を話しました。
私は家内を貰います時にそりゃ何処の家庭だってどちらが良いの悪いのというのじゃないけれど、そこそこの家風がある。やはり大坪の家の信仰も受け継いで、受けてして貰わにゃならん。又私の両親の気持ちにも合うようにして貰わにゃならん。というてです、全然違ったところから来るのですから、そんな同じていう訳にはいけん。そこで私は、私はその事を神様にお願いした。先ず神様へ五か年の年限を切ってからお願いをした。どうぞ大坪の家、大坪の家風に合う、もう本当に合いませんでしたね。
も第一私の方の賑やかな雰囲気というものを家内は嫌いなんです。もう本当になんがあげん話があるじゃろかていうごたる風で、そのツーッと二階さん上がると言った様な感じでした。ですから溶け込んで来ないんです。その代わり一頃の私は五ケ年間神様にお願いし続けさして貰い、その代わりに神様もう決してどの様な事があっても家内に手を上げると言った様な事はしません。ま口喧嘩はしましても手を当てると言った様な暴力を奮うと言う様な事は致しませんという神様へのそれこそ硬い硬い約束をしたんです。
ところが〇〇さん五ケ年間でもやはり具合いがよくなかったんですよ。そこで私は又改めて又五ケ年間の年限を切って神様にお願いをさして頂いた。もう十年になる頃には、もうその事にはお願いせんでよい様に段々おかげ頂いてきたんですよ。もう私はまるきり養子さんのごたるち、人から言われるくらいもう本当の兄妹と妹とも親達とてもそういう風にまあ言われるくらいに段々おかげ頂いてきたんですよと。
初めから自分をこの型にぴしと填めてしまわなければ、またその覚悟に相手がなってしまわなければです、帰ってきて貰っちゃ困るなんていうことではです。あまりにどうでしょうかなあと、私はと言ってお取次さして頂きよる内に頂きますことなんです。「これからは断酒の心菊づくり」と頂きました。断酒とは酒を断つということ。ということは自分これからは自分の好きなもの一つくらいは断たせて頂いてでもひとつ菊づくりに専念さして頂こうというのです。
そしてこれは熊谷さんが頂いとられる「どれほどか、お手間掛けしぞ 菊の花」というこの二つを頂いた、ね。「これからは断酒の心菊づくり」というのは、いうならそこの親子の事でしょう。これからは自分のとこに頂いた嫁をです、そこが菊の花ならばおんなじ菊の花に育てるために一生懸命になろうと、虫もつかせまい、枯らすもすまい、曲がっておるなら素直い添え立ちも添えさせて頂こうと。その代わりに好きなものひとつくらい断たせて貰う、断酒の心ね、酒を止めて修行をするとこういう。
自分の好きなもの一つも断たして頂いてから、その事を親子で祈り願うて行こうと。そこにはです、必ず五年経ち十年経ちする内に嫁さんがです、私の様な全然ここの家庭に合わない様な私をです、ようもようもこういう風にお育て下さって有難うございます。どれほどかお母さん、どれほどか、お父さんや御主人にどれほどか私のことに対してお手間が掛かったでしょうかと言って感謝される様な日が来るだろうと私が申しました。先生それを何にでもいいですから一筆書いて下さい。
丁度短冊頂いとりましたから、その二つの句を書いてから是で私も分かったから、息子も分からして頂いたに違いない。早速明日は日曜ですから迎えにやりますと言ってから帰られたんです。家庭の事いわば家庭の中に一つの調子が出て来るまでにはです、さあ自分の心の調子が整うたからもう相手の方に、それが響くと言う様な事はないです。こちらが改まったからもうおかげ頂いたと言った様な事もないです。それはある事もありましょうけれども、事そういう様な家庭の大変な問題に対しましてはです。
自分の家庭の雰囲気が有難いものであるならば、ここに入って来る嫁さんも家内もその雰囲気に溶け込んでくれる為に、ですから見安かろごたるけれども、そんな訳にはいかん。別々の雰囲気の中に育ってるんですから。そこで一修行さして頂いてでもこれを立派な菊に育てていかなければならない、と言う様な私は信心が為されてから初めて嫁さんがですね、どれほどかお手間掛けし菊の花と言う様なかえしの句が頂かれる様なです、おかげに成って来るのじゃないかとこう思うですね。
昨日、昨日はもう本当に私、丁度もうお昼下がる時間でしたけれども、井上組の方から見えられました。年末のいわゆる集金なんです。それでまぁその支払いを済ませて頂いてから丁度昼でしたからお食事でもあげて、それから一杯差し上げて相手をしとりましたから、そして暫いたしてましたら電話が掛かって参りまして高橋さんから。今現場の方へ来とります。秋永先生と教務所の所長と次長が来とります。今から行きますから、もう目ん玉に指突っ込む様な話なんです。
こりゃ教務所の所長といやもう本当にいうなら一番九州では偉い方と言う事になってるんですねえ。又椛目の色んな問題で非常にご迷惑かけとる。お世話になっとる方なんです。前に前の日に日吉先生が次長の先生ですが見えるかも知れん、そん時に福岡電話を掛けるからと言う事だったんですからもう来れないものと思うとった。ところが私夕べ家内が休みます時に家内と話したんですけれども、しかし今日ぐらいほんとに素晴らしいタイミングの中に、いわゆる万事万端のお繰合わせの中にもう最後の最後まで。
おかげ頂いたことなかったねとまぁ云うて話したことです。それから三十分あちらを見られて三十分位致しましたらもう見えられました。それでもうお茶でも差し上げてそれから部屋を温める暇もない、それから二階に部屋が暖まったと言って参りましたから二階に移って、そして二人とも御神酒が大変お好きな方ですから、それああた相手がなんでしょうが、高橋さんと秋永先生でしょうが。
とにかく私が相手するより他にない、二人がとにかく強いんですよね。それでもう本当にやっぱり何でも一生懸命なったらでけんことないです。もう本当にもうそれこそ、もう云うならまぁ乱れもせずそれでいて何とも言えん雰囲気の中にですね、何時間か丁度久保山さん達が見えられる頃でしたから、やがて御祈念の時間位迄居られました。もうその間に何辺私の手を握られたか分かりません、所長が。
どうぞお願いします、もう本当にこれから私も感激したんですけども本当に、例えばもうこれは本当云ったら私の親からでもそれを受けたことがなかったことなんです。と云うのはです。ここの椛目の信心の真髄それをひとつ話してくれ、聞かしてくれと云うことであった。私は本当に、例えばこの近所の先生方でもです、例えば親教会の親先生でもです、本当に大坪さん大体どげなこと話しよるのか。
どげな信心しよるのか、どうすりゃあれだけ人が集まって来るのかと一辺聞いて貰うならですね、こげん有難い事ないとこう思うのですけども、こちらが宣伝して言う訳にはいかん。まあというて、そりゃ林先生なんですか、もそげん一言二言で言える事ではないて。ですからどうぞこれからこうやっておかげを頂かして貰い近づかせて頂きよる内に、はぁ椛目は大坪はこういう信心をしておるんだと言う様な事をです。
ところが、私驚きましたことはですね、もう十何年まあだ、桂先生がおいでられる時分です。で次長をなさっとられる頃に、あの御理解集があちらへあるそうです、椛目の御理解集が。あれはあの、一年祭の時にでけましたお書物です。あん時に桂次長が言うとりましたが、あの中にこの、あいよかけよで、立ち行くという、信心についての、御理解がのってるんですね。あぁあいよかけよちゃ、こういう事じゃなぁ、こういう事かも知れんなあ、これが本当じゃろち言うてその所長がいよりましたと。
あれだけは私がみんな読まして頂いとるけれども、その後にでけたもんがあるなら一冊頂きたいと言う様なことを言われましたから久保山先生が沢山の御理解を控えて居られます、あれを見せこれをどうでもひとつ合楽の書物にでも出される様なということを盛んに言うとられましたけれど。本当にここが教会にでもなってから本当に誰はばからず椛目のこれが御理解と云うて読めれる。これは神愛会の御理解といったら人には隠しとかにゃおられん、隠しとかにゃの様な感じのものですから。
そんな風に考えとりますというて、久保山先生ご返事なさっとられましたけれども、まぁとにかく私が折角色々まぁ次長もそれ言われるんです。とにかくこちらの貴方の御信心の内容というものをね。少しでもいいから話してくれと、まぁ御神酒頂かして頂ながら、そうですなあ何処からどう言ってとにかく一時間二時間でお話でけることじゃございませんと。だからそんならね、こういう御酒の席ではない、酒の席ではない時に改まって出て来るから、どうぞ聞かしてくれと言っておられましたんですね。
それで中に私は申しました。今申します様なですね、私の場合何時も天地と共にという気持ちでおります。ですから天地の奏でて下さる、自然が奏でて下さる自然のその働きをですね、何時もそれは暑いことであろうが寒いことであろうが、腹の立つことであろうが嬉しいことであろうがです、私の心の中に何時もこうリズミカルなですね、調子が出ておる。あらおかしいな、調子が狂うた時には私は前には進まないことにしとりますということを話したんです。もう椛目の信心はこれだと実際思うんですよね。
いわゆる成り行きを尊ばして頂く。成行きそのものが神様の働きである。そこには例えて申しますなら子供の泣き声の中からでも流行歌の歌の文句の中からでも何時も神の声を聞くことに何時も心掛けさして頂いておると言った様なお話をさして頂いたんですけれどもです。例えば昨日そうしてお目見えられましてから、見えられてから帰られるまでのひとつのタイミングというですか。お繰合わせの中にもう本当に最後の最後までおかげを頂いて、もう自動車でお送りする頃なんかは私の手を握って離されません。
もう林次長も私の手を握って本当に何というですかね、もう何というでしょうかね、本当に通い合うものをですね、この握り合うところの手の中から私も感じたから所長もやっぱり感じられたのではなかろうか、ね。椛目の教会になるまでそんな事じゃなくてです。一生お互いの信心のです、良きまあお互いの理解者としてですたいね、お付き合いさせて頂きたいと私も思わせて頂いたんですけども、そういう雰囲気の中に昨日はおかげを頂いて参りました。そして所長に申しましたことも、只今申します様にです。
どの様な難儀な問題であろうがどの様な、例えて云うならば年末年始の挨拶回りをすると言った様な事の上にでもお歳暮ひとつ持って行くでもです。どうでもよい様なことをです、心の中にひとつの調子も出て来ないのに無理してしたってこれは無駄だという事、ね。自分の心の中に何とはなしにひとつのリズムというものが調子が出て来る。その調子に乗って私共日常生活させて頂かなければならない。おやこりゃ神様ここで止まれと仰っとられるな、神様前へ進めと仰っとられるなと言う様なものをです。
私共の周辺の中からです。これに感受出けれる、それをこれに感じられるくらいの神経、信心の神経というものを使わせて頂くということがです。絶えず神様を頂いておくということでもある。ならそういう調子というものが今日御理解を頂いたから今日出るかというとそんなものではないということ。私と家内の中に調子が出るまでは、私と家族の者と家内が調子が合うまでは、そこに五年なり十年なりのです「これからは断酒の心菊づくり」と言う様なです修行があって初めて菊の花がきれいに育つのであり。
又その事を祈り願われたならその家内もです。これは私の方でいうなら家内ね。昨日私お取次さして頂いたその嫁さんもです、全然家風の違った家庭からその家庭に入ってこられてもです、自分方の家風に合わんならば自分方に本気になるまでは帰ってきて貰わんでもよいと言った様なです、厳格なといや厳格なだけれどもそういう冷たい事言わんでもです、是は五年なり十年なり掛かってからでも親子で育てて行こうじゃないか。
為には私もあんたも本気で修行さして貰うて菊作りに専念さして貰おうじゃないかと。そこに見事な菊がいわば作り出されて来るわけなのであります。そこにはです本当に私をここまで育てて下さる為にはお母さん、あなたどの位辛抱して下さったことか分からない、どれくらいお手間が掛かったか分からない。「どれほどかお手間掛けしぞ菊の花」と言う様な家庭の中に雰囲気がです、生まれて来るおかげを頂かなければならん。これは家庭だけの事ではありません。
(途中末尾切れ)